September 20, 2003
アートについて、MAO先生との対話。
 9月12日にblog::TIAOのMAO先生とメッセでお話した際のログです。

 http://nanitozo.com/log/euri/archives/000252.html
 の続きになります。

 会話の主題は、ブログから「アート」についてに移っていきました。

Euri:  後は、ちょっと論点ずれちゃうかもしれないですが、そういう人たちは 情報を一定以上ボランタリーな形で出版する事にプロとしてどう思うんでしょうかね? 個人的に、アートの社会化について、いろんな立場の人と話させていただいたんですが、文化庁の方が「アートを盛り上げるために、著作権の保護を強化しました」とおっしゃっていて、それに対して、アーティストの側もアートマネジメントをやってらっしゃる側も、それで良いというような感じで、、情報のオープン化には抵抗が強いのかな?と。

MAO:  アートの社会化ですか これこそお金になりませんからね。文化庁の知財関連の動きはまやかしです。公共事業が利権にならなくなって来ているので、、

Euri:  知的財産分野での利権を、と。

MAO:  著作権を隠れ蓑に 知財を新しい利権構造化しようとしている。文化庁だけじゃなく 複数の官庁で、すでに研究調査費という名目で多額の使途不明金が動き始めています。何とか関連の調査研究という名目で 外郭団体にお金が落ちるようになっている。

Euri:  知財分野では、確かに囲い込み傾向が強い気がしますね。

MAO:  アートの本質は情報操作による 価値の捏造ですから。権威と権力の世界。北京でその辺はよく実体を観察させていただきました。

Euri:  はっきり言い切られてしまうと、困ってしまいますが、、(笑) その現状は認めなければいけないのかもしれません。

MAO:  欧米のキュレーター コレクターという連中の情報操作はすごいですよ。政府の文化政策とグルでやってますから。貧乏アーチストを金で一本釣りするなんてわけもないことです。中国の90年代のアートシーンは2000年のベニスビエンナーレで崩壊しました。

Euri:  マネンジメント能力の勝負だと言うのは、そうなんでしょうね。。

MAO:  お抱えのアーチスト作品が溜まったところで 盛大なお祭りを仕掛けて 二束三文で手に入れた作品を現金化する。マフィアのマネーロンダリングの手口そのまま。それを成立させるためにアート批評や小難しい理論武装しますけどね。日本は小役人が学芸員やっているからかなうわけがない。

Euri:  けれども、アーティストだって、霞喰って生きてけるわけじゃなし、そういう傾向は認めてかなきゃいけないんでしょうね。

MAO:  基本的にアートで飯を食おうと考える方がおかしい。アートは生活方式のことでお金はそれを維持できればいいのですから、別の仕事をやっていてもいいわけです。

Euri:  芸大で、知的財産権関係やプレゼンテーションの講義がこんなに無いのは日本だけだ、とも聞きますが。

MAO:  日本は家元制度で食ってますからね。博打は嫌いなようです。

Euri:  けれど、アートで飯を食えなくなる、と言う現状を認めてしまうと、ますます表現者が減っちゃう気がして。。その意味で、マネジメントモデルを確立していくってのは、悪い事だけじゃないのかな、と。

MAO:  今でもアートでは飯が食えているわけじゃないです。ごく一部のスターを創り上げていてそうした夢を売っているだけ。問題は本物のアーチストはマネージメントされるのが嫌いなことです。二流のアーチストは好きなんですが。

Euri:  飯を食えるという可能性は、あって欲しいと思います。現状の見えていない部外者の、甘い考えかもしれませんが。

MAO:  マネージメントシステムというような立派なものじゃなくても、地元の大旦那とか好事家とかが伝統的に支えてきたんですよね。

Euri:  そうですね。それは判ります。

MAO:  アーチストを理解してあげるだけの度量が地域のコミュニティにあればいいですが。

Euri:  それをどうにか構築していけないかな、、と。地域密着型のNPOでマーケットの整備とかしているのは良い傾向でしょうか。

MAO:  そういうようなシステムで捉えるのではなくて 基本は人と人の信頼や共感じゃないかと。基本は人で システムではないような。システム論議はお役所に任せておけばいい。彼らは好きですから。

Euri:  もちろん人が基本にあるのは確かです。けれども人と人が関係していくって言うのは、なかなかに難しい。どうネットワークを構築していくか、という事ですね。アーティストとパトロンの関係は1対1なのである意味簡単かもしれませんが、アーティストと地域コミュニティなんかの複数対複数の関係を維持していくためには、一定の体制があったほうがスムーズかな?と。

MAO:  その体制は制度ではないような気がするのですよ。制度化することで今の現状が生まれてきたことから。やはりそれらを壊したところから生まれてくる アーチストのあり方が大切ではないかと。

http://blog.readymade.jp/tiao/archives/000225.html
先週あってきたこの人は85歳。独学で絵を書きつづけて60年。長嶋監督がこの人のところへ絵を買いに来たそうです。

Euri:  60年ですか、、それだけの時間をかけないと築きあげる事が出来ないんでしょうか。

MAO:  マネージメント言うよりも アーチストの活動の情報がさまざまな方法で流れるようなことの方が重要でしょう。そういう意味でブログ フォトブログなどは感心がある。というかブログ的な情報革命は何を壊すかというと、専門家によって囲い込まれていた権威だと思うのです。出版社が創り上げた プロ作家とか。アーチストって作品が商品として売れるよりも 自分のことを理解してくれる人たちが傍にいてくれる方が励みになる そういった連中です。

Euri:  両立は出来ないですかね、、一定の利益還元をしつつ、理解もしてあげられるような、、ものすごい理想論ですが(笑

MAO:  日本の芸術家の堕落は 作品至上主義に陥ったこと。

Euri:  もっとアーティストの全人格的判断をしよう、ということですか?

MAO:  アートは作品ではなく アーチストの生活そのものであり それの継続こそがアートだと 中国の連中は言っていたような気がする 一部ですが。この人を見よ! ということではこれはどうでしょうか。
http://www.h3.dion.ne.jp/~abesan/index.html

Euri:  イラストがモノクロームなのに暖かくて素敵ですね。。

MAO:  文章や日記もいいですよ 時間のあるときにみてください。この人 定職なし 超貧乏です。でも非常に豊かな生活をしている。いつか会ってみたいと思っています。いつかでいいのです 何か縁のあったときで。

Euri:  私は、本当に絵が書けなかった、練習したけれど。映像も音楽もやった、けれども自分よりももっと素晴らしい表現をしてる人が多くて、それもやめました。自分が追求するよりも、才能がある人たちが表現をやってくれた人が良い、と思ったから。だから、良い表現をしてる人が、貧しい生活をしてるとか言うのが、腹立たしくてしょうがないんですね。

MAO:  わたしも アート 文章は自信がない それで食えるなどとは考えたこともない(笑) 支援の仕方はいろいろあると思う。お金持ちになるとろくなことはないのも事実ですが。北京でもにわか金持ちのアーチストがたくさん生まれました。みんなマンションを買ったり 郊外に別荘を持ってます。アートだけで飯がくれるような奇才というか天才は それこそ数万人に一人。アートを生活の一部に取り入れて 暮らしていくのもまたそれなりの意味はあると思う。兼業アーチスト。

Euri:  当然そうですね。。アプローチは一つじゃあない、と思います。

MAO:  作家も毎年5~6作も駄作を書くよりも、高層ビルの窓ふきしながら 数年に一作書くような作家がいてもいいし、そういった作品を読んでみたい。

Euri:  ネットで、素人でも小説出版してる人はたくさんいますしね。個人的には、なんでしょう、経済学専攻してる所為か、利益還元される=表現が多く生まれる みたいな固定観念になっちゃってるのかもしれませんね。。お話していて、思いました。

Posted by Ken.eu at September 20, 2003 01:50 AM | コメント (2) | トラックバック (1)
コメント

昨日は中国映画「生活秀」とライブで斯琴格日楽(スチングリラ)という充実の一日。今日も徐冰の公演と斯琴格日楽(スチングリラ)のラストステージ。ひょっとするとその後、打ち上げにも参加できるか?

というわけでブログに割く時間がない。詳しくは後日コメントしますが、一箇所修正と言うか、記憶違いがありました。「中国年」と云われたヴェニス・ビエンナーレは1999年でした。祭国強が非常に高い評価を受け、美術界での地位を完全に確立しましたね。

Posted by: MAO at September 21, 2003 08:00 AM

読み返してみるとけっこう大胆な放言してますね。ちょっと赤面の至りです。しかし、アートというテーマは最近行政の人までもがよく口にする。役人がアートを語ってはいけないというつもりはないが、それでもなんだか白々しい。
アート=文化という文脈は、行政的には失点にはつながらないテーマ。耳に心地いいから、一生懸命になるわけでしょうが、ぼくとしてはお役所というとところはゴミの問題であるとか、河川の浄化であるとか、福祉や老人介護の問題の方へ力をいれて欲しい。

アートなんてほっておいても、好きな連中はすることだし、別に町にアーチストが住んでなくたって恥ずかしいことじゃない。ま、あってもいいし、なくてもいいような問題だと思うのです。

それにアートやそれを創り出すアーチストっていうのは飼い犬じゃない。どちらかといえば野良犬や野良猫の類ですから、ほっておくのが一番いいような気がする。少なくとも行政が云々じゃなくて、市民や住民レベルで自分たちが出来ることをやれば十分なんではないだろうか。

市民ギャラリーがなくても酒蔵の倉庫で個展やってもいいわけだし、市民会館でなくても町の喫茶店でもコンサートは出来る。

でも本気でアートをやるっていう方向は確かにあるのだが、かなり高度な戦略と長期的なビジョンが必要だし、それを支える市民の理解もいる。そこまで踏み込んで行政があるのならばぼくも反対はしない。

Posted by: MAO at September 23, 2003 08:50 PM
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